伊藤哲司の「日々一歩一歩」

ここは、茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じることなどを発信していきます。

大事なことを忘れないために

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 このところ理不尽に思えるニュースが多すぎて、少し前のニュースを思い出しがたくなっているような気がします。韓国でのフェリー沈没事故は今年4月16日の出来事。それからしばらくそのニュースが続きましたが、もうずいぶん以前のもののように思えます。都議会の女性蔑視ヤジのニュースですら、まだ1ヶ月もたたない6月18日のものなのに、すでに記憶の中心から少しずれている。なにせその後の、集団的自衛権容認の憲法解釈変更の閣議決定のニュースがあまりに大きすぎて、他のものが吹っ飛んでしまったように感じます。

 「歴史的」な閣議決定は7月1日でした。ブラジルで開催中のサッカーワールドカップ、その決勝トーナメントの1回戦に重なっていたのは、日本が決勝トーナメントに進出することを見越してではなかろうかという気がしてなりませんでした。実際には予選敗退だったわけですが、日本チームが決勝トーナメントを戦っていれば、国民の目はそちらに向くと、為政者たちがずる賢く考えてもおかしくありません。

 そうでなくても私たち、思いの外、一時的に熱しても冷めやすい。秘密保護法のことで多くの人たちが声を上げたことなど、いつのことだったかと思っている人もいるのでは。集団的自衛権容認の抗議デモに若者もけっこう官邸前に行ったと言われていますが、私のまわりの学生たちに議論をする場を呼びかけても、残念ながら反応はとても薄いものでした。私は自分の講義で「この問題に関心を」と呼びかけたのですが、むしろ「先生」から「偏った」情報が発信されることを極端に嫌う学生がいることをTwitterでのやりとり等で知りました。

 どうも忘却のためのメカニズム、それに重大なことなのに目が向かないメカニズム、そして自分にとって違和感を覚える意見を初めから遠ざけるメカニズムが確実に働いていて、時の権力者たちは、そうしたことをよく知っているのでしょう。一時的にデモがおきたって、それはあくまで一時的。いずれに冷めていくに違いない。最初から冷めている人たちも少なくない。そうすれば自分たちが決めたことが、いかに正しかったかも見えてくる。かつての安保闘争でも、結局そうだったじゃないか……と。

 でもそんなメカニズムに乗っかってしまうリスクは、そろそろ限界に達しているという気がします。言うまでもなく、憲法の「解釈」がごく少数の人たちの閉じた議論によって決められ国のかたちが変えられてしまつつあるという、あまりに大きな問題が起こっているためであります。しかし、たとえ官邸前デモをNHKが無視してほんど報じないとしても、今は自分たちでも情報発信ができるツールがある。そして幸いなことに、それらを使う自由は私たち一人ひとりにありますね。声を上げようと思えば、誰でもやりうるわけです。

 東日本大震災の傷跡はまだまだ深く、福島第一原発事故の収束もままならないまま、2020年の東京オリンピック開催を決め、再び原発を稼働して経済発展を目指そうこの社会。秘密保護法、そして憲法解釈変更……。その方向は本当にこれでいいのだろうかという思いを、繰り返し問い続けていかねばと思います。沈黙はしません。おごるな人間。おごるな私たち。私たちはもともと、大きな地球の自然の一部に過ぎないのですから。

 (写真は、大型の台風8号が通り過ぎた茨城大学水戸キャンパスの夕景)