伊藤哲司の「日々一歩一歩」

ここは、茨城大学で社会心理学を担当している伊藤哲司のページです。日々の生活および研究活動で、見て聞いて身体で感じることなどを発信していきます。

「非暴力」の心を言葉にして

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 先日、茨城県下のある県立高校で行った模擬授業「非暴力で世界に関わる方法」を受講してくれた高校生たちの感想が届きました。全員分ではなく、ある程度先生がよく書けたものを選択して送ってくれたようなのですが、それにしてもまだまだ本当に若い高校1年生たちが、しっかりと話を受けとめ考えて書いてくれたことが、存分にうかがえる内容でした。こんな若者たちがいるなら、未来もそう暗くはないという気がしてきます。そのいくつかを抜粋・引用します。

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 私はこの講義を受けて、当たり前だと思っていたこの平和はとても素晴らしいものなんだということ、そして、その平和が壊されてしまう危機にあるということを学んだ。それから、いつも他人事のように見ていた他の国の戦争などのニュースも、講義を受けてから身近なものなんだと見方が変わってきた。

 私は軍隊を保持する必要性について、疑問を持っています。戦争は犠牲を生むだけで、何も生み出せません。身体だけでなく心に負った深い傷は癒やせることなく、悲しい記憶と共に一生消えることはないのです。

 「集団的自衛権」は、国民が示している「日本国憲法第九条」とはとても内容が異なっていて、一番憲法を擁護する義務のある総理大臣が、率先して「新三要件」を無理やり押し通そうとしているのは、あってはいけないことだと思いました。

 そもそも憲法とは、国民主権の日本において、国民から国に出したものであり、擁護・尊重すべきものです。その憲法に矛盾する内容を含む集団的自衛権は、果たして本当に我が国のためであり、許されるものなのでしょうか。そろそろ現代に合わせた憲法にすべきだという意見もありますが、わたしは、憲法第9条については今のままが絶対良いと思います。ここまでの平和主義はどこの国にもない、誇るべきものだと思うからです。

 ウルトラマンは、物語の中ではかっこいい正義のヒーローだが、それは怪獣という絶対的な悪があってこそ。現実では、正義や悪は人それぞれなので、絶対的ではない。よってウルトラマンには、正義とは何かは語れない。これを聞いて、私は自分の中の、今まで当然だと思ってたことが、バラバラに砕かれたような感覚に陥りました。

 何が正義で何が悪か。それは誰にも答えられないのです。テロリストだからといっても絶対に悪とは限らないし、戦争は、言うなれば正義と正義のぶつかり合いなのかもしれない。先生はあ然とするわたしたちに、優しくも力強く話してくれました。

 キング牧師の有名な演説の中で「I have a dream」がありますが、講座中に半分くらいを伊藤先生が読んでくださいました。そこで気づいたのです。「I have a dream」の中には一文も、黒人を弾圧していた白人への非難が、書かれていなかったのです。キング牧師は白人を許して、これから一緒に仲良く生きていける。そんな未来を、言論によって創っていきたかったのだろうと思いました。

 哲司先生は非暴力を求めるには、「まず自分自身が身近な人に手を上げないことだ」とおっしゃいしました。それには、ストレスに負けない感情のコントロールや忍耐力が必要なのではないかと思います。

 伊藤先生はこんな事を、講座の結びにおっしゃっていました。「自分にはひとつ自慢があります。それは自分の子どもに一度も手を上げたことがないという事です」。なるほどなと思いました。痛みでは負の感情しか生まれない。しっかり言えば、子どもだってちゃんと分かってくれるそうです。こんな身近にも「非暴力」があるのだなと、実感しました。

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 話しにくいテーマなのですが、たぶんそれは高校の先生たちも同じで、だからこそ私に依頼してくるのだと思います。もちろん反対の意見をもつ高校生もいるだろうと思いますが、問題提起を明確にするのも役割かと。今年まだいくつかの高校で、このテーマで話をする予定があります。これからもしっかり「非暴力」の心を言葉にして伝えていきたいと思います。